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新潟地方裁判所 昭和51年(ワ)119号 判決 1984年11月26日

原告

谷勝信

谷久二子

谷小百合

右法定代理人親権者父

谷勝信

同母

谷久二子

右原告ら訴訟代理人

中村洋二郎

高橋勝

工藤和雄

中村周而

足立定夫

味岡申宰

鈴木俊

被告

新潟県

右代表者新潟県病院事業管理者

織原義男

右指定代理人

藤井信男

外五名

被告

高橋道子

右被告ら訴訟代理人

坂井熙一

饗庭忠男

小堺堅吾

鈴木勝紀

主文

原告らの各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一当事者

原告谷小百合が昭和四七年一〇月二八日、父原告勝信、母原告久二子の二女として出生したこと、被告県がガンセンターの設置経営者であり、被告高橋が被告県に雇用され、ガンセンター産婦人科に医師として勤務していたことは当事者間に争いがない。

第二原告小百合の失明までの臨床経過等

一原告小百合が昭和四七年一〇月二八日、真柄医院において、出産予定日(昭和四八年一月一七日)より早く、体重一一〇〇グラムのいわゆる未熟児(<証拠>によれば、わが国の小児科領域においては、一般に出生体重が二五〇〇グラム未満の児を未熟児といい、そのうち特に一五〇〇グラム未満(在胎週数はほぼ三二週以下)の児を極小未熟児、一〇〇〇グラム未満(在胎週数ほぼ二八週以下)の児を超未熟児と称していることが認められる)として出生したため、直ちに保育器の設備を有するガンセンターに入院し、昭和四八年一月二八日に退院するまでの九三日間のうち六九日間を保育器中で保育されたことは当事者間に争いがない。

二失明までの臨床経過

(一)  原告小百合は入院後保育器に収容され酸素毎分三リットルの投与を受けた。

入院時の所見は体重一〇〇〇グラム、呼吸数毎分四六で規則的、全身は紅潮し四肢躍動があつた。

なお、当時ガンセンターには四台の保育器(アトムV55三台、アトムV55L一台)があり、各保育器のプレートに表示されている酸素流量と到達濃度との関係は、投与後三〇ないし四〇分で、昭和三九年購入のアトムV55二台が毎分三リットルの場合四〇パーセント、最高流量の毎分五リットルの場合五五パーセント、同四一年購入のアトムV55及び同四六年二月購入のアトムV55L各一台が毎分三リットルの場合三三ないし三七パーセント、最高流量毎分五リットルの場合四五ないし五〇パーセントとなつていたが、実際には濃度は、右表示の数値より下回るものとなつていた。

(二)  一〇月二八日(一日目)全般的にはチアノーゼもなく、四肢躍動して元気ではあつたが、午後五時の体温は34.8度と低体温を示し、同七時三〇分には呼吸数毎分六二と多呼吸であつた。

(三)  一〇月二九日(二日目)全身状態に特に変化がなかつたが、体温は三四度ないし34.5度と低体温傾向を示し、呼吸数も毎分六二ないし六六と多呼吸であつた。

酸素は毎分三リットルが継続投与されていた。

(四)  一〇月三〇日(三日目)全身状態に特に変化はなく、四肢躍動があるなど元気良好であつた。酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(五)  一〇月三一日(四日目)全身状態に特に変化はなく、酸素は毎分三リットルの投与が続行された。

(六)  一一月一日(五日目)全身状態に特に変化はなかつたが、軽度の四肢冷感が認められた。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(七)  一一月二日(六日目)全身状態に変化はなかつたが、四肢冷感が認められ、呼吸数も毎分六四と多呼吸を示した。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(八)  一一月三日(七日目)全身状態に変化はなかつたが、午前九時三〇分には時々陥没呼吸がみられ、午後零時には一時呼吸停止もあり、体温は三三度と低体温であり、呼吸数も毎分六六と多呼吸を示した。また、四肢先端部に冷感があつた。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(九)  一一月四日(八日目)全身状態に変化はなく、呼吸数は毎分四〇ないし四四となつたが、体温は三三度台であり、なお低体温を示した。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一〇)  一一月五日(九日目)全身状態に特に変化はなかつたが、体温は33.7度と低体温である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一一)  一一月六日(一〇日目)全般的に特に変化はなかつたが、呼吸数毎分六六、体温35.2度を示した。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一二)  一一月七日(一一日目)全身状態に変化はなく、体温は36.4ないし36.8度を示した。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一三)  一一月八日(一二日目)全身状態に変化はなく、体温は35.2度である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一四)  一一月九日(一三日目)全身状態に変化はなく、体温は35.5度である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一五)  一一月一〇日(一四日目)全般的に特に変化はなく、体温は36.2度である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一六)  一一月一一日(一五日目)この日別の保育器に移し替えられたが、全身状態に変化はなく、体温は36.4度である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一七)  一一月一二日(一六日目)全身状態に変化はなく、体温は三六ないし36.2度である。

酸素は毎分三リットル投与が続行された。

(一八)  一一月一三日(一七日目)全身状態に変化はなかつたが、体温は三五度台であり、体重は八七〇グラムであつた。

酸素は午前九時に毎分三リットルから毎分二リットルに減量されて、投与が続行された。

(一九)  一一月一四日(一八日目)全身状態に変化はないが、体温は34.4度であつた。

酸素は午後六時に毎分二リットルから一リットルに減量されて、投与が続行された。

(二〇)  一一月一五日(一九日目)全身状態に変化はなかつたが、体温は三六度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二一)  一一月一六日(二〇日目)全身状態に変化はなく、体温は35.6度であり、体重は一〇〇〇グラムであつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二二)  一一月一七日(二一日目)全身状態に変化はなく、体温は35.6度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二三)  一一月一八日(二二日目)全身状態に変化はなく、体温は35.2ないし35.4度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二四)  一一月一九日(二三日目)全身状態に変化はなく、体温は35.2ないし35.7度である。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二五)  一一月二〇日(二四日目)全身状態に変化はなく、体温は35.5ないし36.4度であり、体重は一一一〇グラムであつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二六)  一一月二一日(二五日目)全身状態に変化はなく、体温は35.8ないし三六度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二七)  一一月二二日(二六日目)全身状態に変化はなく、体温は35.8ないし三六度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二八)  一一月二三日(二七日目)全身状態に変化はなく、体温は35.8度であり、体重は一一二〇グラムであつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(二九)  一一月二四日(二八日目)全身状態に変化はなかつたが、四肢冷感が認められ、体温は35.4ないし35.7度であつた。

酸素は午後四時に中止された。

(三〇)  一一月二五日(二九日目)から一二月六日(四〇日目)まで この間全身状態に変化はなく、体温は三五ないし37.2度であり、また、体重は一一月二七日(三一日目)に一一〇〇グラム、同月三〇日(三四日目)に一二〇〇グラム、一二月四日(三八日目)に一三五〇グラムと増加を続けた。

(三一)  一二月七日(四一日目)午前一一時四〇分に四肢チアノーゼが出現し、その後全身チアノーゼとなり、呼吸は不規則で時々停止様となつたため、直ちに蘇生器に収容されて、人工呼吸を施され、強心剤、呼吸促進剤の注射を受けた。チアノーゼ消失後は、保育器へ戻され、酸素を毎分三リットル投与された。

その後は、体温36.5度、呼吸数毎分五四で規則的となり、元気を回復し、体重は一四〇〇グラムとなつた。

(三二)  一二月八日(四二日目)全身状態に変化はなく、体温は36.1ないし36.4度であつた。

酸素は毎分三リットル投与後、午後三時には毎分一リットルに減量された。

(三三)  一二月九日(四三日目)から一二月二六日(六〇日目)まで この間全身状態に変化はなく、体温は35.3ないし37.3度で、体重は一二月一四日(四八日目)に一五五〇グラム、同月一八日(五二日目)に一七三〇グラム、同月二五日(五九日目)に二〇〇〇グラムと増加した。

酸素投与は一二月一四日(四八日目)まで毎分一リットル投与が続行されたが、同日午後五時に中止された。

(三四)  一二月二七日(六一日目)午後二時三〇分ころ、吐乳したがこれを排出できず、呼吸停止状態となつて、全身チアノーゼが出現した。しかし、吐乳吸引後蘇生器使用により、人工呼吸を施行されて回復した。その後、保育器に戻されて、毎分三リットルの酸素投与を受けて呼吸は規則的となり、チアノーゼもなく経過し、体温は36.3ないし36.6度となつた。

(三五)  一二月二八日(六二日目)全身状態に変化なく、体温は36.1ないし37.1度であり、体重は二〇六〇グラムであつた。

酸素投与は午前九時に毎分三リットルから毎分一リットルに減量された。

(三六)  一二月二九日(六三日目)全身状態に変化はなく、体温は36.3度であつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行された。

(三七)  一二月三〇日(六四日目)全身状態に変化はなく、体温は36.5ないし36.9度で、体重は二〇六〇グラムとなつた。

酸素は毎分一リットル投与が続行されていたが、午前九時に打ち切られた。

(三八)  一二月三一日(六五日目)から一月二八日(九三日目)まで この間特に変化はなく、体重が二二五〇グラムとなつた一月四日(六九日目)午後三時三〇分に保育器での保育を終了した(なお、一〇月二八日に保育器に収容されて以来、器内温度は三〇ないし三三度に維持されていた。)。また、体温は三六度台をほぼ維持し、入院後九三日目の一月二八日に体重三〇五〇グラムとなつて退院した。

2 <証拠>によると以下の事実が認められる。

原告小百合がガンセンターを退院後、原告久二子は原告小百合の瞳孔が白色であること、同原告が音に対してのみ反応することなどの異常に気付いたため、昭和四八年四月二八日に三か月検診でガンセンター小児科を訪れた際、医師にこれらの症状を訴えたところ、同科から眼科へ行くように勧められ、眼科の大西英子医師の診察、眼底検査を受けた結果、両眼ともに本症に罹患していると診断され、点眼薬としてステロイドホルモンを、内服薬として蛋白同化ホルモンを投与され、昭和四九年一一月二二日まで通院を継続したが、視力を失つたまま、回復することはなかつた。

第三未熟児網膜症について

一発生原因及び発生機序

<証拠>によると以下の事実が認められる。

1  本症の発生原因ないし発生機序は、いまだ完全に解明されてはいないが、未熟児の網膜血管の未熟性と酸素投与(動脈血酸素分圧値の上昇)が本症の要因となることは、医学界においてほぼ異論のないところであり、発生機序については次のように考えられている。

すなわち、網膜の血管網が未完成の状態で出生した未熟児が胎外環境で酸素投与を受けて発育することになると、動脈血酸素分圧値は胎内にいたときより上昇するが、発達途上にある網膜血管は酸素に非常に敏感で、動脈血酸素分圧の上昇により強い収縮を起こして血管が狭細化し、ついには不可逆的な血管閉塞を招来する。このような状態で酸素投与が打ち切られて環境酸素濃度が低下することに伴い、動脈血酸素分圧が低下すると、閉塞した血管域は酸素欠乏状態となり網膜に異常な刺激をもたらして、静脈のうつ血と毛細血管の新生及び増殖が起こる。増殖が網膜内層に止まらず、内境界膜を破つて硝子体内に増殖(発芽)し、それが著しくなると、透過性の強い新生血管からの滲出、出血により、硝子体の器質化が起こり、索引性網膜剥離へと進行する。右病変には脈絡膜、色素上皮なども参与する。

2  そして、一般に生下時体重の低いものほど、在胎期間の短いものほど、また、酸素投与期間の長いものほど本症の発生率は高いと考えられているが、全く酸素投与が行われていない児や、短時間だけの酸素投与を受けた児にも本症の発生した例があり、酸素以外の要因により本症が発生する可能性についても指摘されている。

二臨床経過及び臨床分類

<証拠>によると以下の事実が認められる。

1  本症の臨床経過及び臨床的分類については、昭和二九年に発表されたオーエンスのそれが臨床的に広く用いられていたが、その後わが国では、これに準拠していた研究者間において右分類は大雑把で、これに準拠することの不都合な点が多いことが指摘され、永田誠、植村恭夫などにより新分類が提唱され、また、研究の進展につれて臨床経過、予後の点から従来の分類にあてはまらず急激に網膜剥離まで進行する型の存在が報告されるなどして、診断、治療面において医師間でその基準に統一を欠くこととなつた。そこで、本症の診断、治療基準に関する研究を主目的とする厚生省研究班が組織され、昭和五〇年三月、同研究班は「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」を発表した。これによる本症の臨床的分類は次のとおりである。

(一) 本症の活動期は臨床経過、予後の点よりⅠ型及びⅡ型に大別される。

(1) Ⅰ型は主として、耳側周辺に増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型である。

1期(血管新生期)周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないが、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期)周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期)硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも血管の迂曲怒張を認める。硝子体内血を認めることもある。

4期(網膜剥離期)明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全周剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。

(2) Ⅱ型は主として、極小低出生体重児にみられ、未熟性の強い眼に発症し、血管新生が後極よりに耳側のみならず鼻側にも出現し、それより周辺側の無血管帯が広いものであるが、中間透光体の混濁のためにこの無血管帯が不明確なことも多い。後極部の血管の迂曲、怒張も初期よりみられる。Ⅰ型と異なり、段階的な進行経過をとることが少なく、強い滲出傾向を伴い比較的速い経過で網膜剥離を起こすことが多く、自然治癒傾向の少ない予後不良の型のものをいう。

(3) 右の分類の他に、極めて少数ではあるが、Ⅰ型、Ⅱ型の混合型といえる型がある。

(二) 本症の瘢痕期は次のとおり分類する。

1度 眼底後極部には、著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常のものが大部分である。

2度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外位偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は、視力は良好であるが、黄斑部に病変が及んでいる場合は、種々の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

3度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとり込まれ、襞を形成し周辺に向つて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は0.1以下で、弱視又は盲教育の対象となる。

4度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり盲教育の対象となる。

2  もつとも、昭和五八年には、右活動期分類は、4期までの分類を5期までの分類としたうえ、次のように改正されるに至り(「 」内が改正点)、瘢痕期分類の改正についても検討中であることが明らかにされた。

(一) Ⅰ型

1期(「網膜内」血管新生)周辺ことに耳側周辺部に「発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などが出現し、それより周辺部には明らかな無血管領域が存在する。後極部には変化が認められない。」

2期(境界線形成期)周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管領域の境界部に、境界線が明瞭に認められる。後極部には血管の蛇行怒張を認める「ことがある。」

3期(硝子体内滲出と増殖期)硝子体内への滲出と、血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも血管の蛇行怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。

「この3期は、初期、中期、後期の3段階に分ける。初期はごくわずかな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に、牽引性変化が加わつた場合とする。」

4期(「部分的」網膜剥離期)「3期の所見に加え、部分的網膜剥離の出現を認めた場合。」

「5期(全網膜剥離期)網膜が全域にわたつて完全に剥離した場合。」

(二) Ⅱ型は主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、「赤道部より後極側の領域で全周にわたり未発達の血管先端領域に、異常吻合および走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著名ママな蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに、網膜血管の蛇行怒張はますます著明になり、出血滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型のごとき緩徐な段階的経過をとることなく、急速に網膜剥離へと進む。」

(三) 右の分類のほかに、きわめて少数であるが、Ⅰ型、Ⅱ型の「中間型」がある。

3  なお、オーエンスによる本症の臨床的分類は、次のとおりである。

(一) 活動期

Ⅰ期(血管期)、Ⅱ期(網膜期)、Ⅲ期(初期増殖期)、Ⅳ期(中等度増殖期)、Ⅴ期(高度増殖期)

最も早期に現われる変化は、網膜血管の迂曲怒張が特徴的であり、網膜周辺浮腫、血管新生がみられる。ついで、硝子体混濁がはじまり、周辺網膜に限局性灰白色の隆起が現われ、出血もみられる。Ⅲ期に入ると、限局性の網膜隆起部の血管から血管降起が起こり、血管新生の成長が増殖性網膜炎の形で硝子体内へ突出し、周辺網膜に限局性の網膜剥離を起こす。更にⅣ期、Ⅴ期と進み、高度増殖期は、本症の最も活動的な時期で網膜全剥離を起こしたり、時には眼内に大量の出血を生じ硝子体腔をみたすこともある。

(二) 回復期

(三) 瘢痕期

Ⅰ度 眼底蒼白、血管狭細、軽度の色素沈着等を示す小変化。

Ⅱ度 (乳頭変形)乳頭は、しばしば、垂直方向に延長し、あるいは腎臓型を示したり、網膜血管の耳側への偏位を認める。蒼白のこともある。

Ⅲ度 網膜の皺襞形成。

Ⅳ度 (不完全水晶体後部組織塊)網膜剥離、水晶体後部に組織塊形成。

Ⅴ度 (完全水晶体後部組織塊)水晶体後方全体が網膜を含む線維組織で充満。

三予防法

<証拠>によると以下の事実が認められる。

1  未熟児は、その身体各部の機能が未成熟であるが、肺機能も未熟で、呼吸発作を起し易く、大気中から酸素を体内に十分取り入れることができない。このため、酸素欠乏(無酸素症、低酸素(血)症)に陥り死亡したり、頭蓋内出血や低酸素性脳障害を起したりし、救命できた場合にも脳性麻痺等の後遺症を残す例が多い。

したがつて、未熟児の無酸素症、低酸素症に対しては酸素療法(酸素投与)が不可欠である。

2  一方、酸素投与が本症発生の要因であるが、その管理を徹底し、本来の成育環境である胎内と同様の酸素環境を設定できれば、本症の発生はある程度予防できる。酸素投与については、従前、環境酸素濃度を四〇パーセント以下とすれば本症の発症はないとされていたが、現在においては児の動脈血酸素分圧値が一定以上であると本症の発症の危険のあることが知られ、アメリカ小児学会胎児新生児委員会の一九七七年(昭和五二年)の勧告によると動脈血酸素分圧値は八〇ないし九〇mmHgを越えない値を維持するとされている。しかし、この値が絶対の安全値といえないうえ、動脈血酸素分圧値は変動が激しいため、断続的にこれを測定していたのでは適正な酸素投与量を決定しえず、連続的な測定によつてはじめてこれを決定することができるにもかかわらず、連続的な動脈血酸素分圧値測定法としての経皮的酸素分圧測定法(電極を皮膚表面に置いてこれを加温し、皮膚血流を動脈化して皮膚面から拡散してくる酸素を測定する方法)は広く実用化されるまでに至つておらず、動脈血酸素分圧値を安全値に保つて酸素投与を行うことは極めて困難とされている。したがつて、酸素投与にあたつては、断続的な動脈血酸素分圧値の測定と臨床所見(全身チアノーゼなど)を目安になるべく酸素投与量を少なくし、特に無呼吸発作の間欠期、呼吸障害からの回復期に酸素が過剰に投与されないようにする以外に、適切な酸素管理方法がない。

2  かつては、酸素投与中の児の網膜血管の所見等から投与量が適正か否かを判断できるとの見解もあつたが、極小未熟児では一か月以上も中間透光体混濁が続き、眼底検査が十分に行いえないものがあること、動脈血酸素分圧値と網膜血管径との間に相関関係がみられず、高い分圧値になつても血管狭細が起こらないものもあり、逆に低酸素でもみかけ上血管狭細を示すものがあるなど眼底検査による検眼鏡的所見は酸素投与の示標とはならない。

四治療法

1  厚生省研究班は、前記昭和五〇年の報告において、本症の治療には未解決の問題点が多く残されており、決定的な治療基準を示すことは極めて困難であるとしたうえで、光凝固、冷凍凝固について多くの研究者により本症を治癒しうることが認められているとして、一応の治療基準を以下のとおり示した。

もつとも、これには、治療方針が真に妥当なものか否かについては、更に今後の研究をまつて検討する必要があること、本症Ⅱ型の治療適期の判定、治療方法、治療を行う時の全身管理等については今後検討の余地があることなどの留保が付されている。

なお、右報告においては副腎皮質ホルモンの効果については、全身的な面に及ぼす影響をも含めて否定的に解している。

(一) 治療の適応

Ⅰ型、Ⅱ型の二つの型における治療の適応方針には大差がある。

Ⅰ型においては、その臨床経過が比較的緩徐であり、発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては、極小低出生体重児という全身条件に加えて、網膜症が異常な速度で進行するために治療の適期判定や治療の施行そのものにも困難が伴うことが多い。したがつて、Ⅰ型においては、治療の不要な症例に行きすぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては、失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれる。

(二) 治療時期

Ⅰ型の本症は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると、将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題となる。

但し、3期に入つたものでも自然治癒する可能性は少なくないので、進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。この時期の進行傾向の確認には同一検者による規則的な経過観察が必要である。

Ⅱ型は、血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いので、Ⅰ型のように進行段階を確認しようとすると、治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件をそなえた例では綿密な眼定検査を可及的早期より行うことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で、血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は、直ちに治療を行うべきである。

(三) 治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。全身状態の際は、生命の安全が治療に優先するのは当然である。

光凝固は、Ⅰ型においては、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、更にこれにより周辺側の無血管領域に散発に凝固を加えることもある。

Ⅱ型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

冷凍凝固も、凝固部位は光凝固に準ずるが、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。冷凍凝固に際しては、倒像検眼鏡で氷球の発生状況を確認しつつ行う必要がある。

初回の治療後、症状の軽快が見られない場合には治療を繰返すこともありうる。また、全身状態によつては数回に分割して治療せざるを得ないこともありうる。

2  ところで、厚生省研究班の報告後も、激症型について光凝固を実施しても功を奏しない例が少なからず生じ、また光凝固法を採用していない欧米との対比においても、わが国で光凝固を受けた患児の失明率が高いということ等があつて、その有効性について消極的な見解が出されている。永田誠自身、昭和五六年七月、重症未熟児網膜症、特にⅡ型網膜症の治療に限界があり、年間全国で推定五〇人程度の重度視覚障害児は今後も発生し続けることが予想できるとの見解を示し、植村恭夫は、同五七年に、光凝固法は、結局、治療効果判定ができないまま使用されない時代に入つて行くことが予測されるという考えを発表している。

第四被告高橋の責任

一医師の一般的注意義務

1  医師は、人の生命及び身体の健康管理を目的とする医療行為に従事するものであるから、患者を診察するに際しては、その当時における一般的医療水準にある専門的医学知識に基づいて患者の生命及び身体の健康に対する危険防止のため、患者の病状を十分に把握して最善の治療を尽すべき注意義務を負つているというべきであつて、これを怠り、患者の生命若しくは身体を害する結果を生じさせたときは、過失ありとして右結果に対し責任を負わねばならないものである。

また、仮りに医師が、一般的医療水準にある医療行為について、それが自己の専門外で実施できないものであるか、または自己の有する臨床経験ないし自己の持つ医療設備によつては患者にこれを施すことができない場合には、患者あるいはその家族にその旨を説明し、右医療行為が施行可能な医師を紹介し、若しくは患者を転医させて右医療行為を患者に受けさせる義務があるというべきで、この義務を怠つたことによつて、右医療行為がとられていたならば回避することのできた結果を、患者の生命若しくは身体に生じさせたときは、医師は当該結果について責任を負わねばならない。

2  ところで、一般的医療水準とは、医学理論のうち臨床医学において種々の医学的実験、追試を経た後、その効果と安全性が確認されたものに基づく臨床医学実践における医療水準をいうものであつて、一部の研究者が研究の成果として新たに発表した知識で、臨床医学においてその効果と安全性が是認されず、確実な理論として、臨床医学実践に定着するまでに至つていないものは、これに該当しないのであるから、医師が右のような新知識に従つて医療行為を患者に施さなかつたからといつて、これを医師の過失ということはできない。

二原告小百合出生当時の本症に関する一般的医療水準

1  酸素投与について

<証拠>によると以下の事実が認められる。

(一) 米国で本症の多発した一九四〇年(昭和一五年)代後半から一九五〇年(昭和二五年)ころには、わが国においては未熟児保育施設は少なく、また、気密性のある保育器も未発達であり、未熟児を高濃度の酸素環境で保育することがなかつたため、昭和四〇年以前までは本症に対する関心は著しく低く、酸素投与も環境濃度を四〇パーセント以下にすれば発症の心配はないとされていた。

(二) ところが、昭和三九年に植村恭夫が本症に対する啓蒙的論文により、本症が散発的にではあるが発生していることを警告して以降、先駆的研究者により、本症に対する研究が進展し、昭和四〇年代後半の眼科領域では、本症の発生には、環境酸素濃度ではなく、動脈血酸素分圧値が関係すること、環境酸素濃度四〇パーセント以下でも動脈血酸素分圧値は、本症が発症する危険な程度に達していることがあること、逆に呼吸障害のある未熟児には四〇パーセント以上の高濃度の酸素を与えても動脈血酸素分圧値は上昇しないことが明らかにされることとなつた。しかし、安全な動脈血酸素分圧値は示されず、また、予防に必要な継続的な動脈血酸素分圧値の測定法も普及していない状況であつた。

(三) そのようにして、原告小百合出生当時の産婦人科の臨床においては、一般に、生後一定期間酸素投与を行うことが合理的であること、酸素投与の基準としては、環境酸素濃度四〇パーセントが安全域であるが、呼吸障害、全身チアノーゼのある場合はそれ以上充分にふえ、これを下げるときには、漸減していくこととされ、これにより本症の発生を防ぐことができると考えられていた。

(四) 被告高橋の未熟児の酸素投与に関する知見は右と異ならず、新潟県における医療研究機関の中枢といえる新潟大学附属病院における未熟児保育の実際も右水準を出るものではなかつた。

2  眼底検査について

<証拠>によると、本症の発生は眼底検査によるほかに、これを発見しうる方法はなく、植村恭夫は昭和四〇年以降啓蒙的論文の中で、本症の早期発見のために最も発生頻度の高い生後三週間目から三か月目までは、週一回の眼底検査実施の必要性があることを強調したが、前記認定のとおり眼底検査は、酸素管理のための酸素モニターとしては役立たず臨床的には、本症を早期に発見し、病状の進行を的確に把握し、治療の実施すなわち光凝固の適応、適期の判断をするために意義のあるものであることが認められ<る。>

3  光凝固法について

(一) <証拠>によると以下の事実が認められる。

(1) 天理病院の永田誠は、昭和四三年四月発行の「臨床眼科」二二巻四号において、「特発性呼吸障害症候群の未熟児二名に已むを得ず行つた酸素供給中止後、次第に悪化する活動期未熟児網膜症を発見し、オーエンスⅡ期よりⅢ期に進行してゆくことを確認したうえで、網膜周辺部の血管新生の盛んな部分に対して全麻下に光凝固を行い、頓挫的に病勢の中断されるのを経験した」として、その経過報告をなし、同年一〇月発行の「眼科」一〇巻一〇号にも同様の報告を行つた。続いて、同四五年五月発行の「臨床眼科」二四巻五号において、光凝固を施術した四症例の追加報告を行い、オーエンスⅢ期に入つてなお進行を止めないような重症例でも光凝固により治療せしめうることが明らかとなつたし、更に、同年一一月発行の「臨床眼科」二四巻一一号において、本症の病変等について解説し、光凝固を施術した四症例について報告している。

また、昭和四七年三月発行の「臨床眼科」二六巻三号において、光凝固の適期とその判定基準等について報告し、今や本症発生の実態はほぼ明らかとなり、これに対する治療法も理論的には完成したということができるので、今後はこの知識をいかに普及し、いかに全国的規模で実行することができるかという点に主なる努力が傾けられるべきではないかと述べている。

なお、これらの研究については天理病院の金成純子らが昭和四六年六月発行の「日本新生児学会雑誌」七巻二号に小児科医としての立場から、同様の報告を行つている。

(2) 以上の永田らの発表を受け、各地で光凝固の追試が行われはじめ、昭和四六年以降その結果が次々と発表された。

また、光凝固と原理をほぼ同じくする冷凍凝固(凍結凝固)については、東北大学医学部眼科教室の山下由起子が昭和四七年三月発行の「臨床眼科」二六巻三号において、昭和四五年一月より東北大学周産母子部未熟児室で、生後間もなくより眼科的管理を行つてきた未熟児及び直接眼科外来を訪れた本症患者のうちオーエソスⅢ期に至り自然治癒が望めないと思われる重症例八例に冷凍凝固を行つたこと、手術の結果いずれも瘢痕期1ないし2度で治癒しており、将来重篤な視力障害を残さないと思われること、手術の時期は、厳重な管理の下では、活動期Ⅲ期に入つてもできるだけ自然治癒をまつてから施行するのが妥当であることなどを報告した。

(二) しかしながら、現在においても、本症に対する光凝固法が完成したといえるものでないことは前記認定のとおりであり、前記厚生省研究班の研究報告の発表までは、施術に不可欠な同療法の適応、治療適期等についての基準も統一されていなかつたのであるから、原告小百合出生当時、光凝固法及び冷凍凝固法が本症に対する治療法として臨床医学の実践に定着し、一般的医療水準に達するに至つていたとは到底認められない。

なお、<書証>(昭和五一年一一月発行の「日本眼科学会誌」八〇巻一一号)で、永田誠は、本症の光凝固による治療が、試行、追試、遠隔成績の検討、自然経過との比較、治療効果と副作用の確認、治療法としての確立とその教育普及という医療の常道を踏まなかつたことであることの反省を述べており、また、<証拠>によれば、植村恭夫は、昭和五六年四月当時においても光凝固法、冷凍凝固法は実験的段階にあると判断していることが認められる。

三被告高橋の過失

1  酸素投与

原告らは、被告高橋には適切な酸素管理をなすべき注意義務があるのに、これを怠つた過失がある旨主張するので、判断するに、前記認定のとおり、原告小百合はガンセンターに入院中、三期間(昭和四七年一〇月二八日から一一月二四日まで、一二月七日から同月一四日まで、同月二七日から同月三〇日)において延べ四〇日間、酸素投与を受けたものであるが、昭和四七年一〇月二八日から一一月二四日までは、原告小百合の全身状態は低体温傾向が続き、体重も生下時体重から約二〇パーセント減少し(一一月一三日、八七〇グラム)、一時呼吸が不規則な状態(陥没呼吸、呼吸停止)となつた期間であるところ、この間酸素投与は、一一月一二日まで毎分三リットル、同月一四日まで毎分二リットル、同月二四日まで毎分一リットルと漸減されたが、毎分三リットル投与によつても保育器内酸素濃度は四〇パーセントを超えなかつたものであつて、これらの投与法は前記認定にかかる昭和四七年当時における酸素投与についての一般的医療水準を逸脱するものではなく、被告高橋に酸素投与上の過失を認めることはできない。

なお、原告らは、被告高橋が原告小百合の低体温傾向の解消に必要な措置を施さず、全身管理を怠つた旨主張するが、<証拠>によると、保育器内温度をどの程度に維持するのが適当であるかについては、当時定説が存在してなく、低体温傾向のある児については器内温度を三〇ないし三四度程度に保つことが一応の基準とされていたことが認められるところ、被告高橋は前記認定のとおり器内温度を三〇度ないし三三度に保持しており、被告高橋が原告小百合の全身管理を怠つたと認めることはできない。

また、一二月七日から同月一四日までの酸素投与については、原告小百合が全身チアノーゼ及び無呼吸発作を来したため、被告高橋が蘇生器を使用してこれらの症状から回復させた直後に、酸素の毎分三リットル投与を開始し、同月二八日には毎分一リットルに減少して、同月一四日に中止したものであり、前記認定のとおり、酸素投与が必要とされる諸症状の現れた結果、器内酸素濃度が四〇パーセントを超えない量の酸素投与を開始し、右諸症状の消失後速やかに投与量を漸減して中止しており、前記認定にかかる昭和四七年当時における酸素投与の原則に従つたものであつて、被告高橋に酸素投与上の過失を認めることはできない。

更に、同月二七日から同三〇日までの酸素投与は、原告小百合に再び全身チアノーゼ及び無呼吸発作が現われたため、被告高橋が蘇生器を使用してこれらを消失された後に、酸素の毎分三リットル投与を開始し、同月二八日には毎分一リットルに減少し、同月三〇日に中止したものであり、前記認定にかかる昭和四七年当時における酸素投与の原則に則つて酸素投与がなされており、被告高橋に酸素投与上の過失を認めることはできない。

以上のとおり、被告高橋の原告小百合に対する酸素投与については、いずれの期間においても過失は認められない。

2  眼底検査

原告らは、被告高橋には眼科医の協力を求めて眼底検査をすべき注意義務を怠つた過失がある旨主張するので、判断するに、被告高橋が原告小百合の入院中眼底検査を実施しなかつたことは当事者間に争いがないが、前記認定のとおり、本症について眼底検査は治療の実施のためのものであつたから、同検査義務は一般的医療水準にある治療法が前提となるものであるところ、前記認定の事実によると、当時存在していた光凝固法は一般的医療水準に達した治療法とはいえず、また、副腎皮質ホルモンの効果については厚生省研究班の報告において否定的に解されており、他に昭和四七年当時本症に有効な一般的医療水準にあつた治療法があつたことを認めるに足りる証拠はないから、原告小百合出生当時被告高橋には眼科医の協力を求めて眼底検査をすべき注意義務はなく、原告らの主張は理由がない。

3  光凝固法

原告らは、被告高橋には眼科医の協力を求めて光凝固法を施すべき注意義務を怠つた過失がある旨主張するので、判断するに、被告高橋が原告小百合に光凝固法を施さなかつたことは当時者間に争いがないが、前記認定のとおり光凝固法は昭和四七年当時においてはいまだ一般的医療水準に達する治療法であつたとは認められないから、前記説示のとおり、被告高橋には一般的医療水準にない光凝固法を施行すべき注意義務はなく、原告らの主張は理由がない。

4  説明、転医

原告らは被告高橋には原告らに本症による失明の危険を告げるとともに、光凝固法があることを説明し、原告小百合をしかるべき医療機関に転医させてこれを受けさせるべき注意義務があるのにこれを怠つた過失がある旨主張するので、判断するに、原告谷久二子及び被告高橋道子の各本人尋問の結果によると、被告高橋が原告らに本症による失明の危険を告げ、光凝固法があることを説明してしかるべき医療機関に転医させなかつたことが認められるが、前記認定のとおり光凝固法は、原告小百合出生当時、いまだ一般的医療水準に達していなかつたものであり、前記説示の医師の説明、転医義務は、ある医療行為が一般的医療水準にあることを前提とするものであるから、一般的医療水準にない光凝固法について説明し、あるいはこれを受けさせるために転医させる注意義務はなく、原告らの主張は理由がない。

第五被告県の責任

一使用者責任

原告らは原告小百合が被告県の使用する被告高橋の過失により失明するに至つたものであるから、被告県には使用者責任(民法第七一五条)がある旨主張するので、判断するに、前記認定のとおり、被告高橋は原告小百合の失明に関し何ら過失がなかつたものであるから、原告らの主張はその前提を欠き理由がない。

二不法行為責任

原告らは昭和四五年ころまでには、未熟児を取り扱う施設においては、未熟児の全体的有機的管理のために、産科、小児科、眼科の協力体制を確立して自動的に眼科医が未熟児の眼底検査を可及的早期に実施することが常例化していたから、被告県は総合病院であるガンセンターにおいてもこのような体制をとるべき注意義務があるのに、これを怠つた旨主張する。

右主張は、ガンセンター経営者である被告県に原告小百合に眼底検査を実施すべき注意義務があつたということに帰するものにほかならないが、医療は医師の責任と判断において行われるべき業務であつて、医師でない病院経営者が、医療行為に関して直接注意義務を課せられることはないというべきであるから、主張自体失当であり、採用できない。

三債務不履行責任

原告らは原告らと被告県は診療契約を締結したが、被告県の不完全な医療行為により原告小百合は失明したものであるから、被告県は右契約上の債務不履行責任がある旨主張するので判断するに、前記認定のとおり被告県及び被告高橋には何ら注意義務違反はないから、被告県に診療契約上の債務不履行は存しないものであつて、原告らの主張は理由がない。

第六結論<省略>

(豊島利夫 長谷川憲一 竹内純一)

診療保育の経過表<省略>

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